この言葉は、この3月末頃の新聞などに載った言葉である。
昨年の大震災と原発への対応問題への反省から、国民に今後の意識変革を促す意味があると考えられる。 特に、危機・リスクマネジメントなどに興味のある人たちには考えさせられるところが多い言葉である。
一般に、仕事には、目的があり、それを達成するための策として強み弱みも考える上に、更に色々なリスクも考えていく必要がある。そのリスク発生の可能性・頻度・起きた時の影響度なども出来うる限り客観的に想定し、対応策には優先順位が付けられる。
しかし、優先順位が低いと、費用対効果とか効率性などから、具体的な対応策は計らない場合が多い。が、多少のリスクを意識して、注意を怠らないようにする、つまり観察を継続することが大切になる。民間会社の経験からすると観察する分担を如何にするのかという課題はあるが、観察していこうとする意識があり(想定外に置かない)、少しでも状況変化があれば、優先順位を見直す姿勢があった。従って、リーダーの役割は大変であった。
今回の大震災や原発事故の問題の場合、リスクは認識されていたようである。が、頻度、可能性が低いこともあり、効率性などから想定外に置かれたのではと危惧される。
ここでの問題は、今回の言葉の中で「想定外」は、優先順位がかなり低いリスクを本当に想定外に置いてしまったという判断の扱い方にあるように思う。つまり、限られた資源と時間の使い方に対し、効率という判断が優先されたのではないのか。 
皆さんは、「想定外を想定する」という言葉には、納得される部分も多いとは思うが、何故今回のように想定してしまったのかをもう一度考えてみることも大切なことではないか。

この期末を迎えた頃になると、“この1年間”の自分等の仕事の結果はどうだったのかということが気になりだし始める。
今考えると、人事評価は、バブル崩壊前は、能力評価システムが主流であった。が、バブル崩壊後は、結果・成果(数字)を追い求める傾向が強く、所謂 成果主義システムに走っていた。
従って、人事評価では、業績評価部分が多くを占める傾向になり、期初に描いた目標に対し、その業績結果(成果)が得られず、何を評価をするのかという思いが、心に沸いてきていたことがあった。

とにかく当時、目標達成度を評価する上で、目標内容に数字を入れて、見定めようとする傾向が強かった。一般的には、営業関係では売上額、販売量などが、製造関係では歩留(収率、製造量)や合理化(人員削減、工程見直しなど)などの数字が。それらを期初の目標として、上司と自分との間で決めて目標としたりしていた。ところが自分がいた研究開発関係は目標も数字にし難く、毎回頭を悩ませていた。

が、商品化や完成度が易しい開発目標は、競争力も低く、販売に結びついたとしても、組織全体への影響も低く、評価点は良いが、これで良いのかと思いながらの評価となる時もあった。 
以前にもブログに書いたが、20年間も同じテーマを取り上げ続け、グローバルな事業に育て上げるには、そこまでのプロセス(進め方)に焦点を当てて評価(所謂、情意評価等)しないと良い結果に結び付けられなかったのではないのかということを書いたことがあった。

昨今は、業種や業務により、業績評価の割合は異なるだろうが、大事なことは、組織全体の目標に取って意味のある良い仕事(業務)をやり続けさせることにあると思う。

特に、最近の変化が激しく不確定な時代では、地味ではあるが、“良い仕事“を意識していくことが大切であろう。どの業種や分野でも同じではないのかと思う。

昨年の大震災から原発事故の一連の流れと国、自治体と電力会社などの組織体での対応策をリスクマネジメント(RM)の視点でみると色々考えされられた人は少なくないだろう。M9の地震、高15m以上の津波、全外部電源を失った原発事故、全村避難などの事態を”想定外”であったという言葉で議論されることが少なくないことはどうしてだろうか。
それぞれの立場での「リスク」への幅広い「想像力の欠如」、言い換えれば「思考停止」のようなことが行われていたことが、問題を大きくした原因にあるのではないのだろうか。
民間企業に勤めた経験から、まず企業として”想定外”という言葉は許されず、そうなった時には、その事業は生き残ることも出来ず、場合によっては企業自体が潰れてしまうことにもなる。前述した組織には、それぞれ立派な「リスクマネジメント」という考え方があっただろうが、実際には対応出来なかったのだろう。
が、やはり根本問題は、国(国民)全体の意識・覚悟・認識に一番の問題であったように思える。 例えば、安全神話、自分とは無関係、発生頻度は極めて低い、起こりそうもない事、何でも上部組織などへの依頼心、余計な事に金・時間を掛けないことがより効率的である・・・・など思うようになってきていたように思える。
このような状態を”思考停止”状態(想像力の欠如など)と言うのではないのだろうか? 
昨今の日本が、そういう”ムード、空気など“に覆われる傾向にあったことが、今回のような大きな災害・事故を引き起こしてしまったように思えてならない。皆さんは、如何思われるだろうか。

年末、年賀状の作成にインクジェットプリンターを使う人が多くなった。
20年程前、C社のインクジェットプリンターをバブルジェットプリンター(BJ)と称され、家庭用に広まり出した頃であった。が、印刷速度が遅く、印刷精度も低く、性能は、今とは比較にならない位悪かった。
そこで、性能向上を狙った機能部材を提案すべく、C社を訪問する機会があった。
その時、お会いした方は、このBJプリンター開発に17年間も携わってきた人で、その開発から実用化までの苦労話の一端をお聞きすることが出来た。
とにかく、開発テーマが、風前の灯になったりしながら、紆余曲折を経て、実用化に辿り着いたとのことでした。その中で最も興味を魅かれたは、”同じテーマを同じ人が、17年間も続けられた理由”についてであった。

そのことに対しては、「長期に渡って、組織と開発者との間に、目的意識と信頼感が、共有化出来たことが一番」とのことであった。

筆者の経験から言って、開発が計画通りに進まない場合、5年も10年も継続することは、大変難しいのが実感である。
継続のためには、組織のしっかりしたビジョン・目標、意志、覚悟が必要だと言われる。それはそうだが、開発者が継続したくても、”費用対効果、他テーマとの比較、グループ内の意欲維持などの諸問題”が出てきて、難しくなる場合が多い。
C社は、それを乗越えて実用化し、世界の中でトップクラスの事業に成長させたのである。
その基になったものは、技術開発力とか、ビジョン等ということを超える何かがあったのではないか・・・それは、「組織の文化」というものでは無いのかと思うようになったのは、大分後のことであった。
このことは、新商品開発だけでなく、新規事業開発にも、共通することであろう。

日経新聞に10月28日と29日と二日続けて、「太陽電池事業、急速なブレーキ」という内容の記事が載っていた。

 

この市場は、ここ数年の欧州及び中国のニーズに加え、国内ニーズもあり、増産につぐ増産状況となっていた。そのため、国内の関連企業は、太陽電池及びその周辺部材供給メーカー(封止材、バックシート材、その他)も、積極的な投資をし、大変忙しい状況にあったようである。

 

この状況の中での事態急変に、担当するリーダーばかりか、経営陣は、如何に“考動”しているのだろうかと気になっている。

 

新聞記事の中で、某経営者等は、業績の下方修正を覚悟する中でも、「目下はお手上げ状態だが、長期では必ず成長市場になるはず」と持久戦での勝利をとの思いを述べている。

問題は、急ブレーキの真の要因が、ギリシャ問題からの欧州経済の萎縮と中国などの新興国の景気減速状況にあるという底の深い問題にある点である。となると、このような経済環境が好転するには、年単位の時間を要するものと危惧される。

 

こんな時、リーダー等の心の内では、将来への期待が持てる事業であるという信念を持ちながらも、その長い間、この事業継続について、社内で如何していくのかに頭を痛めているのではないかと推測される。

 

ここで、以前に読んだ本「ビジョナリーカンパニー」(J.C.コリンズ等)の中の言葉が思い出される。それは、「偉大なカリスマ的指導者の必要性より、長く続く組織を作り出すことが大切」という言葉である。

 

こういう機会だからこそ、ぜひ、この本を、再度、読まれることをお薦めしたい。