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~人生という旅 その2~ 長屋 勝彦

2017/04/10
長屋 勝彦

 1996年8月、34年間勤務した呉羽化学工業株式会社(現、株式会社クレハ)を退社し翌年4月に東京都中小企業診断協会に中小企業診断士登録し、開業した。

 独立して今年で20年になる。この間、多くの方と出会い多くの教訓を賜った。その中でも鮮明に記憶に残るのは、東京都中小企業診断協会中央支部(現、中央支部)長の安田平八郎先生、元日本経営協会理事岸陸朗氏、元茨城県労働経済部部長坂本達夫氏のお三方である。

 安田先生には1998年1月中小企業診断士三次試験(現在実務補習)の指導員の故、長谷川和正先生の紹介でお目にかかった。安田先生の主催する東京都中小企業診断協会マスターコースYCS(安田コンサルティングセミナー)に1期生として入会し、コンサルタントとしての実践的知識の習得から立ち振る舞い・心得、プレゼンの仕方まで多くの薫陶を受けた。印象に残る言葉として、「幸運の女神は前髪しかない」、「うかうかしないで全力でビジネスチャンスをつかめ」といったことを教わった。先生は豊富な人脈をお持ちの面倒見の良い方で、執筆、研修講師の仕事の紹介をいただいた。

 又、YCS講師として、「顧問先を獲得する方法」として登壇の機会もいただいた。そのお蔭で、現在のSKK(合同会社 産業経営研究所)岩本亨社長とも知り合い一緒に事業をすることができた。

 岸さんには中小企業診断士として登録2年目に「地方自治体向け管理者研修インストラクター養成講座」を受講した際にお目にかかった。当講座の受講動機は研修講師としスタートするにあたって、「マネジメントの体系的知識を再整理することが必要」という故、長谷川先生のアドバイスに基づくものである。

 岸さんとは研修最終日にトイレでの立ち話しで、「研修講師がしたい」という発言に対して、岸さんから「丁度、今年講師の見直しをしようと考えている、推薦しておく」ということであった。「経歴書は」という質問に対して、「喋り屋でないことがわかった。中小企業診断士であるから要らない」ということで、次の年度から日本経営協会の公務員管理者養成講座のインストラクターの仕事をすることができた。

 岸さんのおっしゃる、「単なる喋り屋」という評価を受けないということを肝に銘じ現在も、研修に、コンサルのプレゼンに当っている。

 三番目の坂本さんとは茨城県が公募している販路開拓エキスパートに応募した際のことである。応募後、部長自ら電話で新規開拓に関する様々な質問を受けた。後で考えてみると力量、考え方について面談を受けているような気がした。東京で当エキスパート事業実施機関の茨城県中小企業振興公社の方の面談を受け採用された。採用は二人(公募者数は50人以上とのこと)で、もう一方の方は商社系(三井物産)の方であった。

 当時の茨城県の地方紙に当エキスパート事業に関する記事が掲載され、同県に居住している知人から問い合わせを受けた。振興公社の仕事は5年間続いたがその間に知り合った中小企業の方とは現在も実務従事の仕事を通して付き合いをさせていただいている。又、今も一年に一度は水戸の振興公社を訪問し交友を温めている。

 その他、中小企業診断士として仕事を始めて以来、松戸商工会議所の鈴木商工部次長、中小企業基盤整備機構の上島プロジェクトリーダー等とかかわった方は枚挙に暇がないが後日改めて寄稿する。

 今後も、中央支会の発行誌「ふれあい」という言葉を大切に、交流を深めていきたい。
以上

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