身近な「限界集落」
身近な「限界集落」
岩本 亨
私の故郷は島根県江津市の山間の集落である。最近は仕事の関係で月に1~2回実家に泊まって、独居老母の手料理を頂いている。先日実家周辺を散歩していて空家や無くなってしまった家屋が多いことに気付いた。
この集落には、冠婚葬祭の互助組織である「組」があり、実家は三組に属している。この組は、私が高校生だった35年前には9軒で構成されていた。N吉屋、K村、N本屋、O野屋、K野屋、S屋、T須、K摺、YK屋(それぞれ屋号があるのでそれで表記してみた)。このうち空家になっているのはN本屋、K摺、YK屋。家屋が無くなってしまったのがO野屋、K野屋である。今は9軒中4軒のみ居住している。高齢になって別の場所に住む子息と同居されることになったり、病気で入院されていたり、お亡くなりになって住む人がいなくなったりという事情だが、ほとんどが次の世代が同居していないためである。N吉屋、K村の住人は独居老人である。あと数年でこの2軒も無くなってしまうかもしれない。
「限界集落」という言葉を「wikipedia」で検索してみると、以下の説明(部分引用)がある。
過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す、日本における概念。
中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。
少子高齢化や過疎化が社会問題として取り上げられて久しいが、身近に現実があることを改めて認識した。適切な対応をしないと我が故郷も消滅してしまうかもしれない。企業において経営者の交代の遅れが指摘されており、国も「事業承継対策」として、各都道府県に「事業引き継ぎセンター」を設置するなどしているが、なかなか実効は上がっていないようである。将来を見据えた具体的な取り組みが求められるところである。