熊野古道を歩いて~限界への挑戦と創造性開発 【長屋勝彦】
熊野古道を歩いて~限界への挑戦と創造性開発 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
今年も昨年に引き続き登山の専門家のFさんのガイドにより熊野古道を歩いた。
昨年は熊野古道の中では最も人気のある紀伊田辺から熊野本宮大社に至る中遍路であったが、今年は最も厳しい難所の一つである、那智大社から小口に至る大雲取越えと小口から熊野本宮大社に至る小雲取越えを2日間かけて歩いた。
最近はダイエットを兼ねて毎日早朝ジョギングにより足腰を鍛えているが、標高845m越前峠から、胴切坂を下って小口までの5㎞は難所といわれるだけあって、杖の助けなしでは歩くことができなかった。
小雲取越えは大雲取越えと比較し、楽であるといわれるが、スタートから桜峠までの上りの4㎞はきつかった。その上、最後の2㎞は通り雨にあい、びっくりした。
暑中休暇を取り熊野古道に行く話を、お世話になっているN総研の部長さんにした時、部長さんから「旅行中に、経営戦略に関するケーススタディの作問の構想を練っておいて欲しい」旨の話があったが、歩いていてきつくなると、そのことを考えることに集中し、辛さを紛らわした。お蔭で、ある程度の構想がまとまった。
又、大学時代に、今年1月に亡くなった後輩S君に稽古をつけた謡曲「熊野」を思い出した。「熊野」は、初めて仕舞を習うときの曲である。「鷲のお山の名を残す寺は桂の橋柱、立ち出でて峰の雲、花やあらぬ初桜の祇園林下河原、南を遙かに眺むれば 大悲擁護の薄霞熊野権現のおはします、今も同じ今熊野」という文句がひとりでに浮かび、学生時代、S君をはじめ仲間と過ごした学生時代が懐かしく思い出された。
ちなみに、熊野は、「平維盛の妾熊野が、老母からの手紙で母の病状を知り、暇を請うが愛するあまり暇を許さず花見の伴を命ずる。熊野が花見で桜の散る状況をみて、母を思う心を歌に詠み維盛荷に出し、維盛はこれを見て、暇を許す」という物語であり、華やかな春の景色と母を案じる沈痛な熊野の心がまじりあった名曲とされている。
山歩き、トレッキングは、山の景色を楽しむというより、体力的、精神的な自分自身に対する限界値への挑戦であり、創造性開発のための集中力を高める訓練にある。
熊野古道は修験道であるが、山伏といわれる修験者は何を思って古道を歩いたのか。今回の古道歩きは求道者とはかけ離れた山歩きであった。
自宅に戻って、旅館から持ち帰った熊野古道のパンフレットを見た。古道歩きは3回、伊勢参りは7回せよとあった。今回の古道歩きの成功は、Fさんのインストラクトによるものであるが、来年も、Fさんに世話になり別のルートで歩いてみたい。
以上