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プロフェッショナルな仕事とは 【岩本 亨】

2013/09/02
岩本 亨

先日、企業再建・承継コンサルタント協同組合 代表理事の真部敏己氏からお聞きして、「なるほど!」と共感したことを紹介します。

いわゆるポジショニングマップで、横軸を仕事の質の高低、縦軸を価格の高低にします。

左下の象限は質も価格も低いので、そんな仕事をする人を「素人」と言います。

右下の象限は、質は高いが価格は安い仕事をする人なので「ボランティア」です。

左上の象限は、質は低いのに価格が高い仕事をする人なので「詐欺」です。個人的には「ぼったくり」でも良いと思います。

そして右上の象限は、質も高いが価格も高い仕事をする人なので、「プロフェッショナル」ということです。

非常にシンプルな整理ですが、自分自身の仕事の成果をこのポジショニングマップにプロットするとどうなるだろうかと考えて、ドキッとしました。

独立して活動している限り、仕事の質は高くないと生きてはいけません。すべての仕事が右側の象限になければ、価値を提供できていないということです。当然仕事によっては価格の高低はあります。予算がある事業もあるので仕方ありません。また、仕事を請ける際に、無料でもお役に立ちたいと思うこともあります。だから仕事として取り組む限りは、「ボランティア」か「プロフェッショナル」でなくてはならないというのが結論です。

みなさんは如何ですか? 独立していようが、勤務されていようが仕事の質は問われますよね・・・?

熊野古道を歩いて~限界への挑戦と創造性開発 【長屋勝彦】

2013/08/12
長屋 勝彦

今年も昨年に引き続き登山の専門家のFさんのガイドにより熊野古道を歩いた。

昨年は熊野古道の中では最も人気のある紀伊田辺から熊野本宮大社に至る中遍路であったが、今年は最も厳しい難所の一つである、那智大社から小口に至る大雲取越えと小口から熊野本宮大社に至る小雲取越えを2日間かけて歩いた。

最近はダイエットを兼ねて毎日早朝ジョギングにより足腰を鍛えているが、標高845m越前峠から、胴切坂を下って小口までの5㎞は難所といわれるだけあって、杖の助けなしでは歩くことができなかった。

小雲取越えは大雲取越えと比較し、楽であるといわれるが、スタートから桜峠までの上りの4㎞はきつかった。その上、最後の2㎞は通り雨にあい、びっくりした。

 

暑中休暇を取り熊野古道に行く話を、お世話になっているN総研の部長さんにした時、部長さんから「旅行中に、経営戦略に関するケーススタディの作問の構想を練っておいて欲しい」旨の話があったが、歩いていてきつくなると、そのことを考えることに集中し、辛さを紛らわした。お蔭で、ある程度の構想がまとまった。

又、大学時代に、今年1月に亡くなった後輩S君に稽古をつけた謡曲「熊野」を思い出した。「熊野」は、初めて仕舞を習うときの曲である。「鷲のお山の名を残す寺は桂の橋柱、立ち出でて峰の雲、花やあらぬ初桜の祇園林下河原、南を遙かに眺むれば 大悲擁護の薄霞熊野権現のおはします、今も同じ今熊野」という文句がひとりでに浮かび、学生時代、S君をはじめ仲間と過ごした学生時代が懐かしく思い出された。

ちなみに、熊野は、「平維盛の妾熊野が、老母からの手紙で母の病状を知り、暇を請うが愛するあまり暇を許さず花見の伴を命ずる。熊野が花見で桜の散る状況をみて、母を思う心を歌に詠み維盛荷に出し、維盛はこれを見て、暇を許す」という物語であり、華やかな春の景色と母を案じる沈痛な熊野の心がまじりあった名曲とされている。

 

山歩き、トレッキングは、山の景色を楽しむというより、体力的、精神的な自分自身に対する限界値への挑戦であり、創造性開発のための集中力を高める訓練にある。

熊野古道は修験道であるが、山伏といわれる修験者は何を思って古道を歩いたのか。今回の古道歩きは求道者とはかけ離れた山歩きであった。

自宅に戻って、旅館から持ち帰った熊野古道のパンフレットを見た。古道歩きは3回、伊勢参りは7回せよとあった。今回の古道歩きの成功は、Fさんのインストラクトによるものであるが、来年も、Fさんに世話になり別のルートで歩いてみたい。

以上

カテゴリー:  経営情報, 長屋勝彦

無心に一生懸命 【岩本 亨】

2013/08/05
岩本 亨

妻の実家で、義弟夫妻と一緒になった。長男と長女とともに帰省していた。長女はまだ生後8ケ月だが、体重が9Kg。丸々として元気いっぱいの赤ちゃん。親族中の人気者だ。ご機嫌な時の方が多いが、当然泣くこともある。泣き方も元気いっぱい。昨夜、おなかが空いて泣き出した。こんなことを書いてしまうと、義弟夫妻に怒られそうだが、その泣き方に感動した。大きな声で、力の限り、何かを訴えている様子。本人はそんなつもりはないのかもしれないが一生懸命さが伝わり、周りが何かをしてあげたくなる。

この時期、夏の甲子園で熱戦が繰り広げられている。「高校野球は、プロ野球より面白い」とたくさんの人が言っている。私もそう思う。何故か・・・? ひたむきさが伝わってくるからだろう。しかもトーナメント方式で、負ければ3年生球児たちの高校野球が終わる。その緊張感と無常さが背景にある。だから、観る人々を感動させる。プロ野球は技術的には当然上だが、一戦一戦にそんな緊張感はない。おのずと一生懸命さの度合いも違っている。

翻って自分はどうなのか? 誰かを感動させられるくらいの緊張感を持って、一生懸命に日々を生きているのか? ダラダラと日々を過ごしていないか? 夏休みなので、この数日は別にして、日々時間に追われている自分を振り返ってみると、いつの間にか集中すべき仕事を、一生懸命の7割にも満たない状態で流してしまっているのではないかと反省した。

「無心に一生懸命」・・・。いろいろなことにそのように取り組むことができれば、その人の周りにいる人たちも、何とかしてあげたいという気持ちを持つ。組織の中でもリーダーがそのようなスタンス(姿勢)で取り組んでいれば、固い結束が生まれるだろう。姪の泣き声と高校野球のテレビ観戦を通じてそんなことを考えてしまう私は、仕事のし過ぎで、集中力意を欠いてしまっているのだろうか・・・?

創造性開発~チャレンジ精神によるネバーイブアップの姿勢で~ 【長屋勝彦】

2013/07/07
長屋 勝彦

34年間サラリーマンとして過ごした。そのうちの3分の2近く、製品開発の業務に携わった。製品開発の仕事は、その製品の特性を把握し、その特性に合った市場を見つけ、その市場の顧客に販売することである。

 

開発製品がすでに市場で使用されている製品(既存品)であれば、その既存品の性能(品質)やその製品の市場について調査すればよいが、その製品が市場では使用されていない新規製品の場合は簡単ではない。

新製品開発は、開発しようとする製品の性能を把握し、その性能が使用される市場(用途)を見つけることであり、既存品と比べ、時間も費用もかかり、製品化に成功する確率は千に三つといわれているように極めて低い。

 

最初に携わった化学品の製品開発は、対象とする市場、開発しようとする製品の性能もわからず数年が経過した。幸いなことに、ようやく、安全性の面からPCB代替え品として国内外の顧客に採用されることになったが、その企業化には約10年の月日がかかった。

企業化された製品の性能を具現化した化学構造式は、市場ニーズを反映し当初の製品と比較し整理された構造式となった。この製品開発を通して、製品に関する化学的知識及び市場開発に関するマーケティングの手法の他、ネバーギブアップの精神で仕事に取り組む姿勢を学ぶことができた。又、右も左もわからぬ当時の若輩である小職を温かく見守っていただいた諸先輩に心から感謝している。

数十年経った今は、当時の精神を忘れず発展途上にある意欲ある中小企業や若い人を支援していきたい。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー:  経営情報, 長屋勝彦

「脚下照顧」 【岩本 亨】

2013/07/01
岩本 亨

先日、友人が禅家の標語に「脚下照顧」という言葉があると教えてくれました。恥ずかしながら私の知らない言葉でした。

英語の「watch your step!」と同じような意味かと思いながら、大辞泉で調べてみました。

「禅家で、足もとに気をつけよの意。自己反省、または日常生活の直視を促す語」とありました。

goo辞典で検索すると、三省堂「新明解四字熟語辞典」出典として「自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。▽「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見る意。「照顧脚下しょうこきゃっか」ともいう。

意味深い言葉ですね・・・。

 

会社勤務時代に管理職に昇進したばかりの頃、部下にいろいろ指示をする際に、なんとなく居心地の悪さを感じたことを思いだしました。

自分がしっかりできていることについては、自信を持ってできますが、中途半端にしかできていないことについては気が引けます。 「自分もできていないけど一緒にがんばろう!」と言うのが良いのか、まずは自分できちんとしてから指示を出すのか? はたまた、自分のことは棚に上げて、毅然として指示出しすれば良いのか?・・・。 迷うところですが、組織で動こうとすると、まず指示を出さなければならないことが多いでしょう。

自分に自信が無くても毅然と指示を出すべきなのですが、なかなか難しい所です。

 

ここ数年、居酒屋等のトイレのスリッパの乱れが気になります。自分が年齢を重ねたせいかもしれません。個人の価値観ですから、何が良い悪いということではありませんが、私自身スリッパが乱れていれば揃えます。

以前、このブログに靴磨きのことを書きました。ピカピカの靴を履いていると、仕事に集中できます。それが私にとっては、ごく普通のことなのですが、世の中の多くの方々は、そうではないようです。余裕がなくなってしまっているのかもしれません。

 

振り返ってみると、以前は季節の移ろいを感じながら生活していたような気がしますが、最近はほとんど意識していません。日々時間に追われ、ゆっくりと自分を振り返ることができていません。「脚下照顧」、折に触れて思い出したいと感じました。