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SKKコンサルタントが、経営に関するあらゆる話題をブログとして書いています。

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健康管理からコンサルの能力を見れる?!

2015/06/02
岩本 亨

529日に人間ドックを受診した。毎年同じ病院で、もう12年目である。検査結果をすべて保存しているので、各年の体の状態を数値から追うことができる。

今年の検査結果は体重増加に伴ってか、血圧上昇、中性脂肪増加で両方の値ともに基準を上回ってしまい、メタボリック症候群初認定となった。

これまでは、腹囲は基準を上回っていたが、それ以外は正常値の範囲内だった。長年「メタボ予備軍」だったが、残念な結果を突きつけられてしまった・・・。

5年ほど前から「企業再建・承継」の仕事で東海地方、中国地方の宿泊付の出張が増えた。地方では移動手段が車になることが多く、レンタカーを利用するため、歩行距離が激減した。

都市部にいると電車等が発達しているため、「(出発)駅まで歩いて」電車に乗り、「(到着)駅から歩いて」目的地に行くことを繰り返す。結構な歩行距離でしかも書類等を入れたカバンを持っている。大体10Kg以上の重さがある。日々このような行動をしていると、少々食べ過ぎても、飲み過ぎても体重は増えなかった。

ところがである。飲食の量が変わらないのに運動量が激減してしまった。結果は簡単に予想されるとおり。しかも、何の対策も取らなかったため、(順調に?!)今回の結果になったということである。

その病院には、「メディカルフィットネスセンター」が併設されていると教えてもらったので、さっそく相談に行き、トレーナーに運動メニューを作ってもらった。ストレッチと筋力をつけるための軽めの運動で、所要時間は30分くらい。これを毎日実行するようアドバイスをもらった。

経営コンサルタントという仕事柄、企業経営者にアドバイスをすることが多い。具体策を提示し、きちんと実行するようにアドバイスする。アドバイスしても実行できない経営者が多い。「毎日実行したことをきちんと記録することがポイント」とアドバイスしている。

今回は、立場が逆である。私は果たしてきちんと実行できるのだろうか?、また、成果を得られるのだろうか?・・・。不安は募るが、毎日の記録をつけながら、頑張ってみたいと思う。

できなきゃ、コンサル失格ですね! 一事が万事、良い機会をいただいたと思っている。

司馬遼太郎作品との出会い 【吉田健司】

2015/05/25
吉田 健司

先日、東京原宿の東郷神社で親族の結婚式に参列した。東郷神社の境内に入ったのは初めてであったが、心のなごむ空間であった。そこで日露戦争で三笠艦上に掲げられたZ旗を目にし、とっさに司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出した。「坂の上の雲」は経営者にも人気の書なので、読んだ方も多いと思う。私も8度ほど読み返している。
30年近く前であるが、私が司馬遼太郎の小説を読むきっかけとなる出来事があった。当時勤めていた会社で、入社10年目にして2度目の転勤で新潟勤務となった。そこで出会った会社の先輩から、新潟で仕事をするための必読書として、一冊の本を渡された。それは司馬遼太郎の「峠」だった。越後長岡藩の家老河井継之助が主人公の小説である。私は、初めて司馬遼太郎の小説を読んで非常に惹かれるものがあった。その感想を先輩に伝えたところ、次はこれを読めと貸してくれたのが「坂の上の雲」であった。私は「坂の上の雲」の世界に引き込まれてしまった。借りた全8巻を読み終えると、自分で「峠」と「坂の上の雲」を買い求めて読み返した。
それから手当たり次第に、司馬遼太郎の作品を文庫中心に買い求め、2000年に発行された「司馬遼太郎全講演」全3巻が最後となったが、気がつけば蔵書は100冊ほどになっていた。「司馬遼太郎全講演」を読んでわかったことだが、「坂の上の雲」は司馬遼太郎が40代に10年を費やして調べたり、書いたりした作品で、40代は「坂の上の雲」を調べるだけに終わったらしい。結果につながる努力の重みを感じた瞬間だった。

ずいぶん前のことだが、一度だけ東大阪市の司馬遼太郎記念館を尋ねたことがある。当時4万冊といわれていた蔵書の数に圧倒されるとともに、一つひとつの作品の重みのようなものを感じた記憶がある。私は、30代前半から40代前半までの10年間、司馬遼太郎の作品を読み続けた。どの作品もそれぞれの味があるし、一度や二度読んだだけでは物足らない。同じ作品を何度も何度も読み返した。その都度新しい発見があったように思う。司馬遼太郎作品から学んだものは、私の大切な土台である。その後20年、マネジメントを意識した自己啓発を続けてきた土台である。

カテゴリー:  経営情報

今年のもの補助~申請支援による戦略的思考力の向上~長屋 勝彦

2015/05/10
長屋 勝彦

 今年のもの補助(ものづくり・商業・サービス革新補助金)は2月13日に始まり5月8日に終わった。締め切り前のゴールデンウイーク中も申請作業にかかわり家族サービスができなかった方もおられると思う。補助金の申請期間としては3か月近くあり十分な準備期間はあるが、子供の夏休みの宿題と同様、締め切り間際に診断士のところに申請支援の依頼に来る中小企業者も多いと聞く。

 もの補助の制度が始まったのは、阿部内閣が発足し成長戦略の一環として中小企業施策の目玉として打ち上げた2年前である。中小企業の設備投資額として十分とは言えないが、それでも限度額1,000万円の補助金額は魅力的である。

 そんなわけで、この補助金制度がスタートした最初の年は顧問先に応募を進めた。資金的に困っているわけではないが3社が応募し、幸い3社とも採択された。2年目は設備投資に対する要求がなく3社とも応募しなかった。

 3年目の今年、4月半ばに入り、顧問先の社長の紹介による1社、友人の紹介による1社から申請支援の依頼があった。この他、顧問先の1社が応募するということで今年は3社の申請支援を行うこととなった。

 補助金申請支援にあたっては、申請した事業の本質を理解してもらうため申請者である経営者と補助事業の意味、内容についてお互いに腑に落ちるまで話し合うという姿勢で臨む。こうすることにより新たな気付きを得てもらいたいからである。決して丸投げという形で引き受けることはしない。補助金申請を通じて戦略的思考力を高めてもらいたいと念じている。

 そんなわけで、紹介により支援した2社にはかなりの時間を割いた。とりわけ、革新的サービス分野で応募したクラウドを活用した情報システム系の会社には手間取った。もう1社の3Dプリンター用樹脂による造形物製造業者からは現在研究中の試作についてサポイン(戦略的基盤技術高度化支援事業)を視野に産学協同による研究開発事業の推進について協力することとなった。

 報酬については顧問先企業に対してはサービスの一環として採択の如何にかかわらず受け取らない。そうでない企業についてはこちらから金額を提示することはしない。ある先輩診断士の方がいわれた、報謝という言葉が今も頭の中にある。当該補助事業を通じて中小企業の発展があればよし、としている。
以上

カテゴリー:  経営情報

こだわりをどのように理解してもらうか?

2015/05/04
岩本 亨

島根県は私の出身地。その浜田市に石州瓦製造会社 亀谷窯業有限会社がある。縁あって、当社の代表取締役 亀谷典生氏とお話しする機会があった。石州瓦は、島根県東部(出雲市近辺)で産出される「来待石」を釉薬として使う、赤瓦である。三州瓦(愛知)、淡路瓦(兵庫)とともに日本の三大瓦の一つ。当社は昔ながらの製法にこだわり、手作り工程を残して製造している。焼成温度は他社が1,200℃程度であるのに対して、1,350℃。社長は世界一の高温焼成と自慢している。この温度で焼き上げれば、耐久性が上がるため、100年以上使っている例もある。例えば北海道檜山郡江差町の北海道本願寺派江差別院庫裏の瓦は当社製で、明治13年使用開始以来、今でも使われている。

一方で石州瓦でも大量生産の設備を持って、すべて機械生産している会社もある。手作り工程の有無と焼成温度差とにより、瓦の単価が倍近く違うとのこと。また、日本建築による家の新築が右肩下がりで減少しているため、和瓦の需要も少なくなっている。つまりマーケットが縮小する中で、高品質・高価格の和瓦で勝負をしなければならない厳しい環境におかれている。

それを打開するため、亀谷社長は、タイルや食器・雑貨の製造をし始めた。昔ながらの石州瓦の製法を応用すると、タイルもミリ単位の制度で焼成できる。釉薬の風合いも良く、タイルはリッツカールトン東京の和食店で使われ、食器は高級料亭等でも使われ始めた。中にはオーナー調理長が視察&買い付けに来る例もある。他社ではできない技術で差別化を図っている。ちなみに山口県の川棚温泉の名物「瓦そば」(最近は全国に広がっているらしいが)の瓦は、全て当社製。他社製は耐久性が低いため、すぐに割れてしまうそうだ。

亀谷社長によると、「いきなり『うちの瓦を使ってくれ』と言っても理解されない。まずは身近なものから認知してもらい、良さを分かってもらって、ファンになってもらうところから始めないと、需要開拓できない」とのこと。

創業210年(文化3年:1806年)。伝統製法にこだわり、他社が衰退して、廃業や全て機械化していく中、何とか生き延びてきた。気付くとオンリーワンの会社になっていた。その差別化できる技術を持って、発展されることを心よりお祈りしたい。

地元にこのようなこだわりの会社と社長がいらっしゃったことが非常にうれしかった。

私の読書習慣  【吉田健司】

2015/04/27
吉田 健司

最近読んだ新聞に書いてあったことだが、幼少期の読書習慣は子どもにとって大事らしい。自分の幼少期の読書習慣は覚えていないが、私は読書をして落ち着いた時間を過ごすのが好きである。
私は、年間1,000時間の読書を10年以上続けている。これまで機会があるたびに意識して年間1,000時間を口にしてきたが、多くの場合驚かれる。だが、1週間にすれば20時間である。この20時間を、会社に行く月曜日から金曜日で10時間、休日の土曜日・日曜日で10時間にわけて目標時間としていた。
目標達成の目安は、月から金は1日2時間、土日は1日5時間である。月から金は通勤時間を利用して往復1時間30分、昼の休憩時間に30分、帰宅後30分から1時間30分を基準時間としておくことで、仕事の都合や飲み会など毎日同じ時間は確保できなくとも、5日間で平均10時間は達成できる。
休日は、たとえば夕方までに3時間、夕食後就寝までに2時間と、1日のうち5時間をどこで確保するか決めておくことで、毎週末に時間の確保ができなくても、祝日、夏季休暇、正月休みなどでカバーできるので、週末で平均10時間は達成できる。
会社を定年退職した現在は、仕事などで外出する日、自宅で仕事をする日、読書を優先させる日にわけて、それぞれに読書時間を確保している。外出する日は移動時間をなるべく読書時間にあてる。自宅で仕事する日は、2時間から3時間の読書時間を含めてスケジュールを組む。読書の優先日は8時間を基本時間としてその日の過ごし方を決める。
ただ読書時間の長短は問題ではない。1日24時間と限りのある時間の使い方は人それぞれである。自分の自由になる時間を増やす工夫をすること、継続的に読書をする習慣を持つことが大切だと思う。

カテゴリー:  人材育成, 吉田健司