経営情報
マーケティングの社会的意味 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
~セルフアセスメントに思う~ 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
毎年11月下旬から12月上旬にかけアセッサーとしてある認証機関の中小企業に係る認証評価を行う。当認証評価は、日本版マルコムボルドリッチ賞に相当する中小企業の経営品質に関するアセスメントで、その内容は価値創造の観点から過去3年間の企業の経営活動の振り返りとその振り返りに基づくこれから3年間を対象とする経営戦略の策定及びその実行計画(アクションプラン)についてのアセスメントである。
具体的には顧客価値の明確さ、経営者のリーダーシップの発揮、戦略の有効性・具体性、目標達成度、経営活動の日常化等の評価項目について前述の経営活動を対象として行うが、 中小企業診断にも一脈通ずるものがある。認証評価を通して、物事を論理立てて考え、記述することができる力量、つまり、ロジカルシンキング・ライティング力の向上が期待できると考え、3年前この仕事を始めた。
企業診断も認証評価と同様、企業の経営ビジョンの評価、現状分析による課題の明確化、課題解決の方策、方策実現のための実行計画の作成といった企業の経営活動を対象とする診断であるが、企業診断にあたってはSWOT分析による経営戦略の作成方法、計画の作成に仕方についてアドバイスする。
一方、コンサルタントとして企業指導に当たる場合はどうか。単なる診断だけでなく方向を示し、その方向に進むための指導を行う。但し、示す方向は企業の経営方針に基づく範囲内のものであり、その範囲を超えた指導はできない。
更に、コンサルタントでなく、リーダーとして事業推進にあたる場合はどうか。リーダーを引き受けるにあたり、その仕事に係る責任と権限について経営トップと話し合うが、話し合いが不調に終われば、引受けない。経営トップが変わり、方針が変わった場合はどうか。その事業に情念を持つリーダーは別の組織で事業目的の実現を図ることもある。
個人的には、アセッサーかコンサルタントか事業経営者か、いずれが適しているのかを考えながら、今年も車載部品の卸売業者のアセスメントを認証評価した。いずれにせよ来年も、現状に満足することなく常にチャレンジする姿勢で臨みたい。
成果が上がってこその 【岩本 亨】
岩本 亨
今年もいよいよ押し迫った。この一年で一番うれしかったことは何か?と振り返ってみた。
昨年来、中小企業の再生支援案件を10件くらい同時並行で進めてきた。そのため、年明けから春先に掛けては対応に忙殺された。仕事の質の低下を危惧しつつ何とか乗り切れたが、顧客から成果物についての追加修正の要望がやや多かった印象がある。そんな中で、特に大変と思われた老舗会社A社の再生計画1年目が、スタートダッシュでき、成果が出せたことが一番うれしかったことだ。
再生が必要な規模の小さな企業は、抜本的な経営改善活動に取り組もうとしても、なかなか実現できない。経営資源である「ヒト・モノ・カネ・・・」すべてに制限があるためだ。それに加えて再生しようとする強い意志と強力な推進力が必須。加えて従業員とその家族、支援金融機関、取引先等の関係者の協力も不可欠。様々な制約条件をクリアして初めて再生が可能となる。
先日A社の支援金融機関向け業績説明会が開催された。経営計画を推進するために登用されているターンアラウンドマネージャー(註:再生請負人と訳される)から説明があった。印象に残ったのは、「この一年間、とにかく業績を上げるために努力してきた。利益を生み出し、結果を出すことがどんな説明にも勝ると考えていた。おかげさまで結果が出せた。」という締めくくりの言葉。血のにじむような努力をし、結果を出せた人にしか言えない、説得力のある言葉だった。
来年、こんな言葉をどれだけ多くの会社から聞けるか・・・。それに向かって私自身努力しつづけなければと、気持ちを引き締めて取り組んでこうと改めて思った。
今年一年、お世話になりありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
禅の夕べに参加して 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
2013年10月25日-26日総持寺の「禅の一夜」に参加した。動機は顧問先の会社の若手社員研修ということであるが、当会社から社長、工場長、幹事役の業務企画室長と小生を含め7人ということで研修対象者より付添いの方が多い参禅となった。
坐禅は2日間を通して40分を6回であったが、途中に法話、写経、床の拭き掃除があり退屈しないスケジュールであった。消灯は21時、起床は4時であったが、坐禅の途中眠気に誘われることはなかった。
坐禅に当って、禅の心得、坐禅の構えについて説明を受け、坐禅に入った。坐禅の心得として、姿勢を整え、息を整え、心を整える、ことを聞いた。自分の場合、正式な座り方、「結跏趺坐(けっかふざ)」(右足をぬいて左ももに深くのせ、さらに左足をその上から右のももにのせるすわり方)でできず、初心者や体の堅い人が座る「半跏趺坐(はんかふざ)」(右足をぬいて左のももに深くのせる座り方)で行った。それでも足がしびれが気になり、呼吸は整えられるが心を整え、無心になることはできなかった。
最初の坐禅が終了した後にグル―プ討議形式でインストラクタ―の方(僧侶)の主導により反省会を行ったが、途中で足にしびれが来たら座り直してもよい、座り方も胡坐でも、正座でも、椅子に座った形でもよいとのことであった。要するに呼吸を整えることにより無心になることが禅の目的であるということである。
回数を重ねるにつれて座り慣れたというか座ることが苦にならなくなったが、その時は顧問先の行く末を思い、無心の境地になることはできなかった。帰りの反省会でこのことを話したら、ある人からは苦笑され、別の人から感心された。
又、今回の参禅の法話で「三昧」という話を聞き曹洞宗は禅三昧、別の宗派は念仏三昧という説法を聞いた。三昧とは仏教語で心を一つの対象に集中し動じないことをいう。自分の対象は何であるか改めて自身に問いかける昨今である。
以上
小説家山崎豊子さんをしのんで 【長屋勝彦】
長屋 勝彦