長屋勝彦
中小企業診断士の仕事を始めて17年経過するが、初めて5月の連休を利用して3泊4日の日程で関西に出かけた。どこに行くか迷ったが、多くの有名な武将の墓地がある高野山に行き、宿坊に泊り、トレッキング-をすることとした。
高野山のトレッキングコースは、女人堂から奥の院前に至る6.6㎞の高野山女人堂コース、奥の院前から一ノ端に至る9.3㎞の高野三山コース、九度山から高野山大門に至る22㎞の高野山石道コースがあるが、今回は時間的制約から、3のコースのうち最も距離の短い高野山女人コースを歩いた。
山道は予想したほど険しくはなく、なだらかで歩きやすく満開の石楠花、高野槇に見とれながら、木漏れ日の山道を歩くことができ、心が癒された。途中で何人かの人と出会ったが年配の方(自分も年配であるが)もおられ、軽装でハイキングを楽しんでおられるようであった。
もう一つの目的である、金剛峰寺をはじめとした寺院巡りは素晴らしいとは思ったが深い感動を覚えることはなかった。武将の墓にしてもそれぞれの武将を彷彿させるものではなかった。
自宅に戻って家内から、「今回の旅行は楽しそうでなかったようですね」といわれた。
昨年の熊野古道トレッキングは険しい山道を歩き切ったという満足感、達成感があったが、今回の旅行は、武将の墓についての感動もなく、トレッキングも楽なものであり得るものがなかったということであるように思う。しかし、宿坊で阿字観(瞑想)できたことは良かったのかと思う。
昨年の大雲取り、小雲取りコースと異なった、別の十津川コースにより来年は熊野古道を歩きたい。歩く中で、坐禅でいう無になり、宿坊で行った阿字観でいう宇宙と一体化した自分になり、今の仕事を見てみたい。
以上
高野山を歩いて 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
中小企業診断士の仕事を始めて17年経過するが、初めて5月の連休を利用して3泊4日の日程で関西に出かけた。どこに行くか迷ったが、多くの有名な武将の墓地がある高野山に行き、宿坊に泊り、トレッキング-をすることとした。
高野山のトレッキングコースは、女人堂から奥の院前に至る6.6㎞の高野山女人堂コース、奥の院前から一ノ端に至る9.3㎞の高野三山コース、九度山から高野山大門に至る22㎞の高野山石道コースがあるが、今回は時間的制約から、3のコースのうち最も距離の短い高野山女人コースを歩いた。
山道は予想したほど険しくはなく、なだらかで歩きやすく満開の石楠花、高野槇に見とれながら、木漏れ日の山道を歩くことができ、心が癒された。途中で何人かの人と出会ったが年配の方(自分も年配であるが)もおられ、軽装でハイキングを楽しんでおられるようであった。
もう一つの目的である、金剛峰寺をはじめとした寺院巡りは素晴らしいとは思ったが深い感動を覚えることはなかった。武将の墓にしてもそれぞれの武将を彷彿させるものではなかった。
自宅に戻って家内から、「今回の旅行は楽しそうでなかったようですね」といわれた。
昨年の熊野古道トレッキングは険しい山道を歩き切ったという満足感、達成感があったが、今回の旅行は、武将の墓についての感動もなく、トレッキングも楽なものであり得るものがなかったということであるように思う。しかし、宿坊で阿字観(瞑想)できたことは良かったのかと思う。
昨年の大雲取り、小雲取りコースと異なった、別の十津川コースにより来年は熊野古道を歩きたい。歩く中で、坐禅でいう無になり、宿坊で行った阿字観でいう宇宙と一体化した自分になり、今の仕事を見てみたい。
以上
商売はあきない~ピンチの後にチャンスあり~ 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
某商工会議所の総務課長のSさんから携帯に留守電が入った。なんだろうと思い折り返し電話した。話では、今年の4月の移動で商工業振興課長に移動したとのことで、中小企業診断士として関東経済産業局の経営革新等支援機関の認定を受けてコンサルティングを行っている小職に、手が空いたら一緒に仕事をしないかという話しである。
Sさんとは中小企業診断士として登録した平成9年当時、中小企業診断士2次試験で中小企業施策の勉強をしていた時に商工会議所にアドバイザーとして仕事の口があるということを知り飛び込みで売込みをして以来の付き合いである。その時、Sさんから「仕事の依頼は会員を優先して行う。」という話を聞き即座に会員となった。
その縁で、中小企業基盤整備機構(当時の中小企業事業団)の新規事業開発アドバイザーの推薦を頂きアドバイザーの仕事をした。又、中小企業診断士の2次試験合格者に対し行う実務補修の対象企業を紹介して頂いたり、当会議所の研修の講師もさせて頂いたり大変お世話になった。
しかしながら、政権が自民党から民主党に変わった時から中小企業関連の補助金関連の予算が減額され、当会議所は補助金による各種の中小企業支援事業から撤退した。同時にSさんは総務課長に就任され、それ以降仕事が途絶えていた。その間も、アベのミックスの成長戦略と中小・小規模企業施策に関する商工会議所の在り方等について意見交換を続けた。
今回の電話は小職の中小企業に対する思い入れが頭をよぎり電話を頂けたと思う。 小職の使命は1社でも多くのニッチップ企業育成の支援にあたることであり、時間の許す限り、今回の仕事には関わっていきたい。どのような企業に出会うのかが今から楽しみである。久しぶりに今朝のNHK朝ドラでいPalpitationを感じた。(辞書では医学的な意味で動悸という意味)
以上
更なる飛躍を求めて~三宮のふぐ料理屋板長の話~ 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
2013年度の納税申告を済ませ鯖江の顧問先を訪問した。その足で、神戸に立ち寄り、在職中に新規開拓で公私にわたり世話になった中堅商社S社の役員をしておられたM氏を訪ねることとした。M氏とは40年にわたり公私ともに世話になった方で今も時々メール・電話等で連絡を取っている。
3年振りの関西出張ということで、てっさ、白子さしみ、てっちり等ふぐ料理にしたつづみをうった。中居さんというか決して美人ではないが女将さんの今風でいえば「おもてなし」もよかったのか、新製品開発に明け暮れた35年前のよもやま話から昨今の経済情勢、阪神淡路大震災、3年前に起きた関東東北大震災の話に花が咲き楽しい3時間があっという間に過ぎた。
女将の話ではこの店は、ふぐの専門店で毎年11月にオープンし、ふぐの季節が終わる3月末にクローズドするということである。「店をしめている間何をしているか。」と聞いた。 女将さんは、「もちろん次のシーズンのオープンに備えての準備、勉強をするが、ハワイに別荘を持っているのでハワイに滞在し、テニスをしたり旅行を楽しんでいる。」ということだそうだ。いかにも人生を楽しんでいる様子である。
詳しいことは話してもらえなかったが、「この店を初めて45年になる。採算は採れている。開店の11月にはまた来てほしい。」といって名刺を渡された。詳しい話は聞けなかったが、次の開店に備えて更に充実した商売をするための準備は万端整える、再度来シーズンになったらきて確かめて欲しいというように感じた。きっと、板長は仕事に対しても、自分自身の人生設計についても自信と信念を持っておられるのだと思った。
コンサルタントの仕事をし始めて間もなくのころ、ある先輩コンサルタントから、「クライアントと研修、面談等で対面している時間は年間時間の4分の一、後の4分の一で仕事の準備をし、残りの半分を就寝時間も含め充電に充てる。」ということ聞いた。同時に、年中仕事に明け暮れている知人の経営者、コンサルタントのことが頭に浮かんだ。人生のワークライフバランスの問題である。人にはそれぞれの生き方があてもよいのではと思い、その店を出た。
今年の暮れか、来年早々にまた来てみようと思った。その時は板長から人生設計を含めて経営の在り方について話を聴きたいものである。
以上
45年振りの大雪に思う~おもてなしの心での除雪 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
2月8日は45年ぶりの大雪で東京も27㎝の積雪となった。当日は月1回開催する研究会の定例会であったが中止となった。お蔭で翌日の日曜日に予定していたクライアントへの報告書の作成に時間を費やすことができたが、土、日と2日に亘り除雪作業をすることとなった。
雪は未明から降り始めたが除雪に当たり作業を楽にするために融雪剤を道路に撒いた。その道路を隔てた真向いの家は南に面し、その家の住人は昼間の日照により自然に雪が融けると思い、これまで除雪をしたことがない。その道路の除雪はその住人と共同ですればよいがこれまで共同で除雪したことはない。今回も、その人は、自然の融雪に期待する思い、その家の塀から若干離れたところまで融雪剤を撒いた。
積雪が数センチとなったところで1回目の融雪をした。融雪剤をまいていないところと比較すると積雪量は明らかに少なかった。除雪は農作業に慣れているのかそんなに疲れるものではなかった。1回目の除雪後再度融雪剤を撒いた。
午後になり積雪が数センチに達したところで2回目の除雪をした。吹雪の中での作業であったが、夜半にかけて積雪が更に増えると考え、雪がなくなるまで完全に除雪した。今回も作業後、除雪剤を撒いた。
翌朝、雪はやんでいたが、3回目の除雪をした。融雪剤を撒いた道路の積雪は数センチ程度であったが、除雪剤を撒いていない場所は30センチ程度であり、融雪剤の効果は大きかった。
融雪剤の成分は塩化カルシウムで、塩害という意味では環境に優しいものとは言えないが、今回の除雪作業は雪の中を歩行する人、運行する車のことを考え、人や車の行き来に支障のないところまで除雪するという気になり、実行したことは自分自身にとって意味があった。
それは、前日、理髪店の経営者と良質のサービスを提供するためのおもてなし研修についての話しが頭をよぎったのかもしれない。今は後の人のことを考え行動できたことに満足している。
以上
マーケティングの社会的意味 【長屋勝彦】
長屋 勝彦