長屋勝彦
ある会社の社長との話しの中で全従業員を対象とした360度評価を行うこととなった。その会社は工場39人、本社23人の金属を主体とする切削加工業者である。
今回の評価は、評価項目を望ましい人物像、評価基準をAランク(望ましい)、Bランク(やや望ましい)、Cランク(やや望ましくない)、Dランク(望ましくない)として評価し、評価結果を会社宛てではなく直接小職宛として郵送してもらうこというものである。
具体的には、非評価者は社長を含めた全員の62人であるが、評価者は社長を除く61人とし評価し小職に郵送する。小職は郵送されてきた評価結果を定量化し、全員の非評価者のスコアを集計し、ランク付けを行い、その結果を評価者にフィーダバックのため郵送するということである。
エクセルのRANK関数を利用すれば計算自体は簡単であるが、評価基準の入力作業及び計算結果の評価者への郵送作業には気を使った。更に、返信封筒に郵便番号が未記入の方、返信封筒が同封されていない方おられ、手間取った。又、期日までに郵送してこない方、評価者全員についての評価(例えば社長を評価してない方)をされていない方おられたりしたため、評価結果を返送するまでの時間が想定した時間(7日)の倍の時間(14日)を要した。ともあれ、正確性を担保するため、仲間の診断士の方に協力してもらい結果の集計と各人宛ての郵送作業を終わらせることができた。
評価にあたって、何人かの方から、望ましい人物という評価基準は何か、何故今回のような評価を行うのかといった質問を受けたが、これに対して自分自身で望ましい基準を作り評価して欲しいといったコメントをした。目的は会社の全員からどう見られているのかを自分自身が知ることにあり、今回の結果は人事評価につながるものではないということも話した。
360度評価を人事評価に取り入れている企業もあるが、評価結果を気にしないで自分自身の生き方を変えない者もいると思われるが、評価結果を非評価者である本人が見て至らない点があれば反省し今後に役立ててもらうということで、取り入れている企業もある。
要するに自分についてこれを機に見詰め、改め、成長して欲しいということである。この点は社長も理解していただいており心強く思う。
今回の結果は誰もが最も好ましいと思う方が一番であり、その次の方、3人目の方も万人が認める方であった。しかし、能力はあるが言いたいことを言い勝手に行動する方のスコアはやはり低かった。
今回のことを自分に置き換え、精進しなければと思うこの頃である。
以上
360度評価に思う 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
ある会社の社長との話しの中で全従業員を対象とした360度評価を行うこととなった。その会社は工場39人、本社23人の金属を主体とする切削加工業者である。
今回の評価は、評価項目を望ましい人物像、評価基準をAランク(望ましい)、Bランク(やや望ましい)、Cランク(やや望ましくない)、Dランク(望ましくない)として評価し、評価結果を会社宛てではなく直接小職宛として郵送してもらうこというものである。
具体的には、非評価者は社長を含めた全員の62人であるが、評価者は社長を除く61人とし評価し小職に郵送する。小職は郵送されてきた評価結果を定量化し、全員の非評価者のスコアを集計し、ランク付けを行い、その結果を評価者にフィーダバックのため郵送するということである。
エクセルのRANK関数を利用すれば計算自体は簡単であるが、評価基準の入力作業及び計算結果の評価者への郵送作業には気を使った。更に、返信封筒に郵便番号が未記入の方、返信封筒が同封されていない方おられ、手間取った。又、期日までに郵送してこない方、評価者全員についての評価(例えば社長を評価してない方)をされていない方おられたりしたため、評価結果を返送するまでの時間が想定した時間(7日)の倍の時間(14日)を要した。ともあれ、正確性を担保するため、仲間の診断士の方に協力してもらい結果の集計と各人宛ての郵送作業を終わらせることができた。
評価にあたって、何人かの方から、望ましい人物という評価基準は何か、何故今回のような評価を行うのかといった質問を受けたが、これに対して自分自身で望ましい基準を作り評価して欲しいといったコメントをした。目的は会社の全員からどう見られているのかを自分自身が知ることにあり、今回の結果は人事評価につながるものではないということも話した。
360度評価を人事評価に取り入れている企業もあるが、評価結果を気にしないで自分自身の生き方を変えない者もいると思われるが、評価結果を非評価者である本人が見て至らない点があれば反省し今後に役立ててもらうということで、取り入れている企業もある。
要するに自分についてこれを機に見詰め、改め、成長して欲しいということである。この点は社長も理解していただいており心強く思う。
今回の結果は誰もが最も好ましいと思う方が一番であり、その次の方、3人目の方も万人が認める方であった。しかし、能力はあるが言いたいことを言い勝手に行動する方のスコアはやはり低かった。
今回のことを自分に置き換え、精進しなければと思うこの頃である。
以上
大曲の花火に思う 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
6年ぶりに大曲の花火を現場でみた。大曲には顧問先の秋田工場があり毎月一度は3日間の日程で、当工場の管理者~新入社員の研修に顧問先の社長と出かけている。大曲の花火は、全国の花火師さんが技を競う規模、権威ともに全国最大の競技会で、優勝者には総理大臣杯が授与される。毎年8月の第四土曜日に開催されるが、花火大会当日は大曲市の人口の15倍の60万人から70万人が花火見物に出かける。
顧問先の会社も社長の陣頭指揮により地場の得意先を招待し親睦を図っている。そのようなことで、大会当日、小職も加わって営業部次長のもとに、大会会場に着き、花火を見て、帰途に着くまでの手順について入念な打ち合わせを行った。なにしろ、60万人~70万人の人が会場の雄物川の河原に向かうのであり、大勢の人でごった返す。会場への行き帰りは社長が先頭に立ちEL照明板を持ち迷子にならないよう歩いた。又、会場で招待した得意先の方に渡す、弁当、飲み物等を各自が手分けして、リュックサックに詰め運んだ。花火終了後、宿泊される方には宿の手配をした。又、当日戻られる方には戻りの時刻が深夜12時を過ぎるが、それまで全員居酒屋で接客し、帰途を見送った。大変喜んで帰られたとのことである。
研修では、マナー、仕事の段取りについてアドバイスをするが、今回はいうことは何もなかった。多分、各自が得意先の方に喜んでもらうことを念頭に行動したからであると思う。そのようなことを思っているうちに、3年前の3.11の震災のことが頭に浮かんだ。あの時も、誰からも言われることもなく、震災の翌日自発的に出社し、その翌日電気が通るようになった時には自らの作業現場の機械の点検にあたった。
日常の仕事ではやらされ感が強いのか、危機意識が少ないか今一つ一生懸命さにかけているという感じを抱いている。すべての企業に言えることであるが、現状打破、革新が求められている今日、当社には困難を克服するという気迫が少ないのかという感じを抱いている。
危機意識を植え付け、チャレンジ精神を植え付けることが使命であると改めて思った。
以上
補助金あれこれ~補助金を通じた中小企業支援 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
8月11日納期のものづくり補助金の申請作業支援で3月から始まった中小企業に関する今年の助成支援事業は終了した。
今年は、サポイン(サポ―ティングインダストリー:ものづくり基盤技術)3件の申請支援を目指してスタートしたが、A社は製造プロセスの自動化というコンセプトは決まっているが社長に当該補助事業に係る時間がなく、B社は新規事業開拓ということでそのコンセプト及びコンセプトに基づいた研究計画の推進策について構想が固まっているが、技術開発責任者の時間的余裕が取れず、申請を見送った。当該2社は顧問という形でかかわっており、痛恨の極みである。3社のうちの残りの1社のC社については顧問先の企業の社長からの紹介であり、面談した感じでは技術力、資金力もあり新規事業に対する関心は高く脈ありと見たが、サポイン事業のフレームが作れず断念した。
代わりに、B社について共同開発中のJ政府系開発機関(B社の得意先)から、文部科学省管轄のJST(科学技術振興機構)の研究成果展開事業の環境問題解決課題領域に関する助成事業の紹介を受け同社と共同(B社サブリーダー)で申請した。極めて多忙なJ機関のXリーダーの下で突貫工事のようなかたち申請作業を行った。Xリーダーの話では、電子申請ということで期限の当日の締め切り時間ぎりぎりに申請したとのことであった。
申請後Xリーダーが受理について問い合わせたところ受理されておらず、Xリーダーが調査した結果、XリーダーとJSTのパソコンネットワークにシステム障害があることが判明した。Xリーダーがその理由をJ機関に説明し受理を要請したが拒否されたとの連絡がった。本件については当事者間で議論しても意味のないことであり、関係者(B社)の方には、やっつけ仕事をしてはならない、余裕を持ち仕事を進める必要があるというようなことを教訓として話した。
そのようなことで、ハイレベルで高額の助成金が期待できる助成事業は全敗に終わった。
しかし、JSTという助成事業を知ることができ、又、当該醸成金申請を機にB社の共同開発先のO社のキーマンと親密になることができ、今後の新事業開発を推進する上では得るところが大きかった。
来年は今年の轍を踏まないように今から準備し万全を期したい。
ものづくり補助金の申請については昨年に続き今年も顧問先の1社が申請した。昨年より、文章の書き方を含め進め方の要領は向上した。
以上
H社についての思い出の一コマ 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
今週はスケ―ジュールにゆとりがあり、11月15日講演予定の原稿を書き始めた。タイトルは事例にみる中小企業のものづくり成長戦略である。対象企業は、顧問先3社であるが、そのうちの一つ目の事例としてH社について半日をかけて書いた。
書いくうちに走馬灯のごとくH社とのいきさつが思い出された。とりわけ、三つのことが今でも写真の一コマのように鮮明に記憶の中にある。
今から28年前 K社勤務時にプラスチックレンズのOEM先として資金面でも支援しH社の設立を図った。その後、しばらくしてレンズ事業から離れたため、当社との関係は途絶えたが、その後平成9年、中小企業診断士として独立し現在まで顧問としてかかわっている。
独立当初は暇な時間が多く、当時最難関(競争率10倍)といわれた中小企業ベンチャー振興基金の新製品開発補助金の申請支援にあたった。その時のH社研究者の申請文書が理解しにくかったが、何故・どうして、具体的にはという問答を繰り返し、当補助金対象のレンズ製作の肝はH社が発見した錯体の発見にあるということを明確にした申請書を作成し、採択された。
又、Hの売上の75%をしめる委託先企業の倒産に遭遇し窮地に追い込まれた。その時もいろいろの対応策を考え議論したが、H社レンズの納入先である倒産企業の顧客の商権譲受が最良の方策との結論に達し、倒産企業の顧客と直接取引するための交渉を、倒産企業を通じて行った。交渉の結果、2年という限られた期間であったが顧客と直接取引することができた。又、当取引終了後の生産の急激な落ち込みに対応するため、新製品として開発した偏光レンズが立ち上がるまでの間、雇用調整助成金を活用した全従業員の一時帰休による生産調整を行い、急場をしのいだ。社長からの後日談として一時帰休明けにはすべての従業員が出社したとのことであり、従業員の愛社精神と社長の厳しさのなかの優しさを感じた。
最近では、レンズ業界のチャンピオン企業であり当社のナンバーワン顧客である外資系企業の日本法人N社から事業提携、資本参加の申し入れがあった。N社は外注先企業の系列化を図っている企業である。社長方針として系列に入る選択をせず、イコールパートナーとして日本N社株式の一部取得を前提とした交渉を行った。結果として、交渉は思惑通り不成立に終わったが、当交渉に対しては契約書のチェック、交渉の立会いにあたった。
以上のようなことが頭をよぎったが、当社の、経営理念、経歴、ビジネスモデル、環境分析、戦略、中小企業診断士としての支援ということで講演テキストを作成した。現在はH社社長に当テキストの草稿をお願いしている。
独立開業からH社と付き合って、17年、H社の誕生から今日までをみているが、その時々のこと、補助金申請時の問答、当時売上の75%を占めた企業の倒産時の社長、倒産企業及びその得意先企業とのやりとり、N社の提案に対する対策、交渉が一コマの写真のように目に映る。
社長も今年で還暦を迎えた。一時、会社で働いていた社長の息子も今年の春戻ってきた。社長は5年後には引退するという。それまで、H社に対し何ができるかを考えたが、環境は変わるものであり、その変化に応じて考えればよく、今、決めつける必要はないとも思っている。
創造空間に遊ぶ~竹生島参詣~ 【長屋勝彦】
長屋 勝彦
沼津で仕事をした。翌日の午後から鯖江に行くことになっていた。翌日午前中はブランクとなるので、沼津で仕事を終えたら東京に戻ることも考えたが、その足で彦根に泊まることにした。彦根に泊るのは大学受験の時であり半世紀振りということになる。
彦根といえば、彦根城であるが半日を彦根城で過ごすことは退屈すぎるので竹生島に行き竹生島神社(正しくは都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)という)に参詣することにした。都久夫須麻神社は日本書紀にもあるが、雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建と伝えられる。
竹生島といえば、NHK大河ドラマ軍師官兵衛の中で織田信長の与力として付属された豊富秀吉の軍師竹中半兵衛も信仰した島であり、半兵衛と竹生島の関係を紹介する記念展示「軍師竹中半兵衛も信仰した竹生島」が開かれていたので見学した。展覧会には竹生島を参詣した織田信長、豊臣秀吉の絵画が展示されていたが色あせることなく鮮やか色映えであった。係の方にこの絵画の書かれた年代を聞いたが参拝当時の絵画であるということであった。
竹生島は昔の面影がそのまま残っており、当時にタイムスリップしたような気持ちになった。自分にとって竹生島といえば、学生時代謡曲クラブで唸っていた時先輩から指導を受けた曲であり、当時のことが目に浮かび懐かしく思った。
旅行をしているとこれまで過ごしてきたことが懐かしく偲ばれるが、旅行中も今の仕事について考える。沼津の仕事をどのようにして他企業とのコンソーシアムを作り発展させるのか、鯖江の会社の行く先はということが頭をよぎる。
大阪時代に世話になった得意先の先輩は創造空間という会社を作り東南アジア関係の仕事をしている。何故、その会社が創造空間か今度会ったら聞いてみようと思う。今の自分にとって、旅をし、旅先で思考することが創造空間かと思う。又、中小企業の軍師として、顧問先の企業を一流企業に育てるのも意味があるかとも思い竹生島を後にした。
以上