人材育成
先日、上野の東京国立博物館平成館で開催されていた特別展「始皇帝と大兵馬俑」を鑑賞してきた。私は、古代中国の歴史や思想に関する本を好んで読んでいるので、大変興味深く意味のある時間を過ごすことができた。
自称企業戦士だったころ、私は中国の古典の中でも特に「韓非子」の愛読者だった。「韓非子」は、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非の著作とされる。中国古代の法家思想の代表的な書で、韓非は法治主義による政治改革を秦の始皇帝に説き、始皇帝の法思想に影響を与えたとされる。
「韓非子」は、人間学の書ともいわれる。君主が大衆を支配するための説からは、「人」について多くを学ぶことができる。人間は自分の利益を追求する存在であるという韓非の非情な人間観から学ぶことも多い。
君主の心得、君主が臣下を充分に働かせる要点、臣下の任用と待遇についての注意、君主に対して人臣がおこなう八つの悪事、破滅に至る十の過ち、重臣の専横がはびこる体制への批判、国が亡ぶ兆候、歴史故事などへの非難、世間で賞賛される八種の人物への批判、学者・雄弁家などへの批判、権力者に進言するその説き方の難しさなどを説いていて、人の集まりである企業、変化する時代に直面している企業の経営に多くの示唆を与えてくれると思う。
「韓非子」を出典とすることわざなども興味深い。守株(しゅしゅ)、あるいは株を守るは、古い習慣に捉われて時勢に応じた対処のできないことのたとえとされる。 ある時、農夫が畑を耕していると兎が切り株にぶつかって死んだので、農夫は難なく兎を得ることができた。 それ以来、仕事をせずに再び兎が切り株にぶつかるのをいつまでも待っていたという故事から。
現実を鋭く見つめる「韓非子」は、一読する価値のある書であると思う。
韓非子を読む 吉田健司
吉田 健司
先日、上野の東京国立博物館平成館で開催されていた特別展「始皇帝と大兵馬俑」を鑑賞してきた。私は、古代中国の歴史や思想に関する本を好んで読んでいるので、大変興味深く意味のある時間を過ごすことができた。
自称企業戦士だったころ、私は中国の古典の中でも特に「韓非子」の愛読者だった。「韓非子」は、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非の著作とされる。中国古代の法家思想の代表的な書で、韓非は法治主義による政治改革を秦の始皇帝に説き、始皇帝の法思想に影響を与えたとされる。
「韓非子」は、人間学の書ともいわれる。君主が大衆を支配するための説からは、「人」について多くを学ぶことができる。人間は自分の利益を追求する存在であるという韓非の非情な人間観から学ぶことも多い。
君主の心得、君主が臣下を充分に働かせる要点、臣下の任用と待遇についての注意、君主に対して人臣がおこなう八つの悪事、破滅に至る十の過ち、重臣の専横がはびこる体制への批判、国が亡ぶ兆候、歴史故事などへの非難、世間で賞賛される八種の人物への批判、学者・雄弁家などへの批判、権力者に進言するその説き方の難しさなどを説いていて、人の集まりである企業、変化する時代に直面している企業の経営に多くの示唆を与えてくれると思う。
「韓非子」を出典とすることわざなども興味深い。守株(しゅしゅ)、あるいは株を守るは、古い習慣に捉われて時勢に応じた対処のできないことのたとえとされる。 ある時、農夫が畑を耕していると兎が切り株にぶつかって死んだので、農夫は難なく兎を得ることができた。 それ以来、仕事をせずに再び兎が切り株にぶつかるのをいつまでも待っていたという故事から。
現実を鋭く見つめる「韓非子」は、一読する価値のある書であると思う。
弊社の目指すところ
岩本 亨
本年もよろしくお願いいたします。年末から商工団体向け会社案内の原稿を作成しています。冒頭の代表者挨拶をまとめながら、改めて弊社の目指すべき方向を整理してみました。以下、転載します。今後、加筆修正があると思いますが・・・。
地方創生や一億総活躍社会など国の政策を反映して、商工会・商工会議所の役割もクローズアップされています。発達計画の認定制度など新しい取り組みも行われています。
規模が小さな企業を会員としてお持ちの商工会議所、商工会等の商工団体に今求められているのは、聞き慣れない支援手法や目新しいノウハウ提供、奇抜なセミナー企画ではありません。
経営革新計画の策定件数、モノ補助等補助金の申請・受理数、マル経融資の実行数、会員向けセミナーの開催数等のカウントできる数字でその団体の企業支援活動の評価をする傾向があります。一方で専門家も計画策定や補助金の申請支援で、仕事をしていると錯覚している方が散見されます。
大切なのは、支援した企業の経営がしっかりし、社会貢献されること、従業員や取引先等の関係先が幸せになることです。
商工団体や専門家の企業支援は、経営者に基本を積み重ねることの大切さを理解してもらい、実践してもらうという普遍的なことです。これができていない経営者があまりにも多いことに驚かされます。
弊社は、特にこの大切な基本の実践を支援したいと考えています。自分で何ができるのかを真剣に考えている経営者の皆さん、熱い思いを持って活動している経営指導員の方々と一緒に仕事をしたいと常々考えています。
少しでもお役に立てることができれば幸甚です。
弊社が目指すのは以下の二つです。
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ポテンシャル相応の業績を上げていない中小企業の活性化
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ポテンシャルがありながら、経験が薄いために活躍できていない若手中小企業診断士の発掘・育成
商工団体様には以下の二つのサービス提供を中心にお役に立ちたいと考えています
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専門用語を使わない、わかりやすく実践的なセミナー
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日々の活動の積み重ねによる実績にこだわった、経営者に寄り添った支援
学びて、思いて、表して、習う 吉田健司
吉田 健司
私は中小企業診断士の仲間と切磋琢磨する場である研究会に、8年前から参加している。今月は「仕事において大事にしていること、大事にしたいこと」をテーマに、16名が10分間スピーチにチャレンジした。私は「学びて、思いて、表して、習う」についてスピーチした。論語の「学びて、時に、これを習う(学び続け、常に復習する)」と、「学びて思わざれば則ちくらし(学習しても思考しなければ見識にかけ)、思いて学ばざれば則ちあやうし(思考するだけで学習しなければ誤りやすい)。」を、私なりにアレンジしたフレーズである。その意図するところのあらましを以下に述べたい。
最初の「学びて(学ぶ)」では、「観察」「体験」「読書」の三つを特に大切にしている。「観察」は広く目的をもって見るという意味で使っている。「体験」には、「百聞は一見に如かず」といわれるように、体験すること、経験すること、つまり行動、実行、実践といった実の部分から学ぶ意味を込めている。そして「読書」は日々最も大切にしていることある。単に知識を得るだけでなく、考えるきっかけを与えてもらっている。
次の「思いて」では、どこでもシンキングを意識し実践することを大切にしている。考えること、思考することは、いつでも、どこでもできる。ひらめきは思わぬところで生まれることを経験した方も多いだろう。
三つ目の「表しては」は自分自身へのアウトプットのことである。考えたこと、思いついたことなどを、いったん頭の中で整理する。整理しておくことで、また思い出して思考を深めたり、やり直したりできる。私はこの一連の思考の繰り返しを「頭のキャンパス」と名付けている。そして、良いひらめきを得た時や、納得のいく整理ができた時は、忘れないうちに「思いつきノート」に書き留めるように心がけている。
最後の「習う」には色々な意味がこめてある。継続すること、何度も繰り返すこと、復習することなど。「学ぶ、思う、表す」を繰り返す。繰り返すことで知識が身につき自分のものになっていく、いつでも活用できるようになる。絶えず復習することで熟練して上達する。このサイクルを回すことで、少しでも多くのことを自分の言葉で語れるようになりたいと、私は思っている。
中国の古典に思う 吉田健司
吉田 健司
私は20年以上古代中国の古典を読み、関連する歴史を学び、古代中国を題材とした小説を楽しんできた。そして多くの仲間に古典を読むことを薦めてきた。一方で中国の古典を学ぶことの意味を考え続けてきた。
四書(大学・中庸・論語・孟子)五経(書経・易経・礼記・詩経・春秋)を中心とした儒教の書物だけでなく、老子、荘子、孫子、韓非子、戦国策、史記、三国志等から数多くの故事・名言・名句が生まれ、日本人にとって教養の源であり、貴重な人生訓・処世訓になっている。
一般的に語られている言葉をいくつか列挙してみたい。
「さまざまな状況で役立つ知恵、指針、助言などがから、視野が広がり、視点が変わる。」
「ビジネス社会を生きぬく知恵、人生の指針として役に立つ。」
「知性と感性を磨き、ゆたかな表現力を身につける助けとなる。」
「変化の時代を生きるための人間学といえる。」
「激しい変化の過程で人間を厳しくみすえている。」
私の経験からもうなずくことのできる言葉ばかりである。
私は企業に勤めていたころは、古代中国の古典のうち特に管子と韓非子を愛読していた。統治の書としての価値を感じており、春秋・戦国時代の君主と宰相の関係を現代の企業に当てはめて考える楽しみがあった。たとえば、経営者は企業の今後を左右する重要な決断をしなければならないが、経営上、もっとも頼りになる「右腕」となる人材をおくことによって、経営者が誤った判断をしたとしても正すことが可能になる(中小企業白書2005)。春秋・戦国時代の各国の君主と臣下の物語は、経営者と右腕の関係や、経営者と経営メンバーとの関係において、いろんな示唆や教訓を与えてくれる。
さらに春秋・戦国時代からは集団を動かすことを学ぶことができる。火器等の武器のない時代の戦争は人と人の戦い、人の集団の戦いの様相が鮮明で、戦争の物語は組織の行動学につながるものがある。勝者とは、俯瞰できるもの、時間的空間的に物事を捉えることのできるもの、情報収集に勝るもの、学習し思考を巡らし行動する質の高さで勝るものなどである。
顧客の不満の受け止め方
岩本 亨
この3ケ月の間に2件、食事中に気づいたことを店員に指摘した際に予想も期待もしなかった対応をされて戸惑った。
1件目は、とある地方空港のレストランでの出来事。出張からの帰途、夕食時のことだった。たまたま定食の炊き込みご飯に3mm四方くらいの小さなアルミ箔のかけらが入っていた。店員に「これが入っていたので、注意した方が良いよ」と伝えると、すぐにお店の責任者が出てきて「申し訳ありませんでした。食事代は結構ですので。」と言われた。私は全くそんなつもりがなく、ただ注意喚起のために話しただけだからと料金を支払いたいと言ったが、「今度また来てください。今後は今回のことのようなことが無いように指導徹底しますので」と断られてしまった。
2件目は、昼食時に混み合っていた軽食店でのこと。ホール係の店員が私の肩に接触し、持っていた水がこぼれ、私のスーツに掛った。「アッ!」と言ったきり、申し訳なさそうな顔をしつつ、謝りもせずにお客さんのところに行ってしまった。食事が終わってお金を支払う際、レジにいた店長らしき人に、状況を話し、忙しいから無理もないかもしれないが、注意した方が良いのでは?と指摘した。すると「申し訳ありません。お代は結構です」と言われた。
私自身の話し方や風貌が怖かったのかもしれないが、「料金をもらわなければ、良いでしょ?」と安易に対応された感じがして、心地悪かった。
私自身は少しでもお店の対応が良い方向になればと、親切心で言ったつもりだった。それを客の思いを聞こうともせず、お金で解決しようとされてしまった。こんな対応をされるのであれば、このお店にはわたしは二度と行かないだろう。皆さんはどう思いますか?